2005年9月22日 (木)

チャフチャカン湖

 春が駆け抜けた緑の平原から望むクンルン山脈―ミーラン人は南部高地と呼ぶらしいが―は未だ雪の衣に包まれ、そこから流れ出す白く清らかなイリ河は<大いなる水>チャフチャカン湖へ注いでいた。湖に寄り添うように群がる家々はチャカン村と呼ばれ、ひとたび掘り返せば塩が吹き出る大地に唯一人が住む場所でもあった。村の人々は葦を組んだだけの粗末な家に住み、草だけは豊かに育つこの平原に馬や羊、山羊などを放していた。夏の間湖の北で過ごす彼らは、冬になると卵型の湖をぐるりと半周して河口の湿地帯まで南下する。それは厳しい冬ではすべてが凍り付いてしまい、湖に大きく口を開けるイリ河に緑の名残りを残すのみだったからだ。それに穏やかだが、確実に流れるイリ河には塩辛いチャフチャカン湖と違い、多くの淡水魚が住んでいる。チャカン村の人々は時折、葦舟を浮かべ、泥臭いが大事な食料を取って生活の足しにしていた。

 このチャカン村へやってくるような物好き人間は滅多にいないが、厳しい冬が終わり、短い春の祭りが行われると、窓から入る春風のように南のバートルから多くの商人がやってくる。彼らの大半は毛皮商で、それに金物商、織物商が混じっていた。お目当ては冬眠明けで眠そうに穴倉から出てくる野うさぎやテン―これが実に高価なのだが―の毛皮、よく肥えた羊の毛であった。その代金として、商人たちはナイフや鍋などの鉄製品を置いてゆく。チャカン村の人々にはそれが不思議でしょうがなかった。平原に行けばいくらでも取れる―むしろ邪魔にさえもなる―ものをなかなか壊れない、いい物と交換してくれるのだろう、と。それはバートルの抜け目ない商人たちも同じで、どうして安っぽい鍋と家が一軒建てられるほど高いテンの毛皮と交換してくれるのかが、全くわからなかった。ただ、両者はお互いにあざけ笑っているものの、決して口には出さずにいた。

 エーデルワイスの花びらがイリ河の流れにその身を寄せる頃、黒くしなやかな髪を肩までたらした少女が青と緑の空間を―時に所々ぬかるんだ土を飛び越しながら―歩いていた。白く肉付きの良い腕には大事そうに鍋と真鍮の器が抱えられて、草原の民なら誰でも知っている「クンルン賛歌」を楽しそうに口ずさんでいた。簡単な言葉の羅列はとても詩人が作ったとはいえないものだが、単調なリズムで歌いやすく、気分を高揚させるにはいい曲だった。ごわごわした白いフェルトのシャツをはらまし、赤地のスカートが揺れる様は一輪のエーデルワイスを思わせる。岸辺に到着すると、澄んだ水に吹き溜まりのように溜まった花びらを払い、洗い物を始めた。だいぶ使い込んだらしく、ボコボコに痛んだ鍋を少女はまるで赤ん坊を洗うように洗った。

 「クンルン賛歌」が終盤に差し掛かったとき、岸辺に一枚の痛んだエーデルワイスが流れ込んできた。だが、痛んだ部分は黄ばんでいるばかりでなく、黒光りした深紅の縁取りがなされていた。その時、静かに流れていた歌が――止まった。やがて、嗚咽のような声が辺りに響きわるが、それは少女が恐怖のあまりに出した精一杯の叫びだった。

 白く清らかなイリ河。湖と河口は未だクンルン山脈の雪のようだったが、やがてくすんだ白になり、ついには朱色となってその源の方向へ続いていた。黒ずんだ朱色に浮かぶエーデルワイスの白い花びらがゆっくりと滑ったイリ河に沈んでいった。

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2005年9月 2日 (金)

街道にて

陰りはじめる斜陽の中を、軍隊は行軍していた。

行軍にしては彼らの顔はしぼみ、頭がたれ、どちらかと言えば受験発表があった赤門の前といったところだろうか。槍を杖にするもの、仲間の肩を借りるもの、様々な落胆がある。

ところどころで黒い噴煙が昇っている。酸っぱい臭いと、むせ返るような死臭からすると、おそらく死体を焼いているのだろう。火の周りでは皆一様に座り込み、談笑をすることなく、ただ黙々と火を眺めていた。

その中でひとり、鼻歌を歌う男がいた。彼は音楽学校に通う学生だった。今は兵士となり、首には二つの袋が掛けてある。一つは空。もうひとつには近所の肉屋主人の歯が入っていた。そして、今目の前で焼いているのは一人の男性だった。近所に住んでいたということはわかった。だが、名前は知らない。名無しの市民Aだった。

街道は一直線に首都バートルへ続いている。勢いを失った太陽は東の山脈の万年雪を黄金に輝かせ、その山麓はただオレンジ色に染め上げられていった。そんな中、その黒い煙だけは何ものにも染められず、穢れない純粋な死の灰を吐き続けていた。

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2005年9月 1日 (木)

釈放 ― 敗走

幾重にも重なる死体の脇を蟻のように這いずり回る男たち。

彼らは金になる鎧や剣、お守りをまだ暖かい屍から頂戴していた。

取りやすいように腕を裂く者、首をはねる者―。

イリ河はその白く穢れない流れを犯され、今ではもう血の河と化していた。

「余をどうするつもりだ…」

河畔の大きな丘には豪華な鎧、剣、髪飾りはすべて取り払われ、まさに乞食のような格好をした一人の人間がいた。彼こそ、100年の歴史を誇るミーラン王国国王、ブルガール1世その人である。

僧侶のように坊主頭をした男が高座の上で座禅を組んでいる老人になにやらささやいている。すると、突然、

「duanduam!mxuanjahdue!」

呪文のように放たれたその言葉は国王には理解不能だった。しかし、この言葉を発した人物がパミール族の長らしい。皆この人物に対してだけ、五体倒地をするのだ。

「フン、牛のような声を出しおって…」王はつぶやいた。

ッシャ!

ねずみ色の男の腰から放たれるマチュテの幅広な刃の怪しい光。

――キラレル

直感的に王は感じた。…だが、

…ブチブチブチ

なんと、ねずみ色の男は王を拘束していた縄を切ってしまった。あまりにも予想に反した行動だったため、王は唖然としてねずみ色の男を見つめた。すると、

「…どうぞ、こちらへ。ミーラン王よ」

パミール族の長が言った。王は言われるがまま、長が進める高座に腰掛けた。そこにはクッションまで置いてあり、王が充分にくつろげるよう配慮されている。

「しかし、いや、どうして…」

動揺を隠し切れないミーラン王ブルガール1世。そんなブルガール1世に長は静かにささやいた。

「王は王を殺しません」

そういったあと、長はにかっと笑った。しかし、ブルガール1世にとってその笑みほど恐い者はなかった。

「な、なにが望みだ!」 孤独なミーラン王は立ち上がった。

長はなおも笑みを絶やさないずに、

「和平」 と、だけ言った。これに孤独王は声を荒げた。

「余は散々貴様に使者を送った!『和平』のな!今更『和平』?っは!笑わせてくれる!」

そういって後ろを振り向いた。そこでブルガール1世は一生忘れられない光景を見る。

パミール族、全員がこちらを睨んでいた。緑色の草原に立つ褐色の人種が獣のような目つきで睨んでいた。更に不気味なことに手には赤黒く光るマチュテを握っていた。

ブルガール1世は再びゆっくりと振り返った。高座の笑顔はまだ絶えていない。

「サルマノフ城、および周辺の砦、領地を我らにお預けなさらぬか?」

まだ、絶えない。何度も言うが、今のブルガール1世にはあのマチュテの刃よりもこの笑顔の方がずっと恐ろしいものだった。

「…………和平は成立だ。長よ」

長の笑顔が消えた。そして、高座を立ち上がった。

「xsnuo!amdieoi!xnsuanudieu!」 (民よ!住む場所だ!ここが住む場所だ!)

その瞬間、パミール族から大歓声が沸きあがった。皆、それぞれのマチュテを天高く掲げ、

「アラル!!アラル!!」 (万歳!!万歳!!)

と、叫んだ。

高座に再び腰を下ろしたパミール族の長は横にいた坊主頭の男に耳打ちした。すると、今度は乱暴にブルガール1世を高座から引き落とし、戦場になった方とは逆の方に丘を下っていった。そこにはいくつもの荷台が置かれ、サイがたむろしていた。

「今度はどうするつもりだ!」 王は叫んだ。

「こっから出て行ってもらう!」 坊主頭が答えた。

荷台を警護のパミール族の兵が気がつき、2人が駆け寄ってきた。

「xisoaunxisanuildsna」 (こいつの頭と体を押さえつけろ)

王は屈強な男子に羽交い絞めにされた。

「な、なにをする!殺す気だな!?」 孤独なミーラン王は必死にもがく。

坊主頭はどこから持ってきたのか、特大の針を手にしていた。

「dbui!albduialnb!」 (こら!動くな!)

兵士の叫びが聞いたのか、王はピタリと動きを止めた。それを待っていましたとばかりに、特大の針が王の耳を貫いた。

「ああああああああああああ!!!!」 孤独なミーラン王は悶絶する。

坊主頭は穴が開くと、すかさず石の輪を耳に通し、ピアスをさせた。奴隷の印がブルガール1世に刻まれる。

「慣習だ」 坊主頭は言い放った。

倒れこもうとするミーラン王を抱きかかえ、更に荷台の奥へ進んだ。すると、そこには一匹の馬がいた。

「乗れ」

ミーラン王はすがるように馬に乗り込み、走らせた。耳の痛みなど忘れ、ただ駆けた。

落ち行く太陽もブルガール1世の目には入らない。

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2005年8月31日 (水)

イリ河畔の会戦 ~敗北~

「右翼、左翼共に被害多数! 援軍を打診してきています!」

兵舎の中では返り血とドロに汚れた兵士が赤い絨毯にひれ伏していた。彼の乗ってきた馬は兵舎に行き着く前で倒れ、今まさに『役目』を終えようとしている。それをまるでドブネズミのように見ていたひとりの若い人間がいた。それがブルガール1世の長男、テオドロス王子だった。

「…私の馬をここへ」

テオドロスは使者を無視するように兵舎から出て行った。

「ど、どうか…!」

それでも食い下がる使者はテオドロスの足にしがみついた。その束縛は一蹴りされてあっという間に解消されるのだが…

「…失せろ下郎」

テオドロスは、はき捨てるように言い、自らの黒馬に乗った。黒い鎧に身を包んだ若い男が黒馬に乗った姿はまるで、悪魔のように見える。

まだ朝霧は濃く戦況は全く不明だった。特に突撃していった中央軍はなんの使者も送ってはいない。勝っているのか、負けているのか、それすらもわからなかった。それと不思議なのは、右翼、左翼ともサイによる打撃を受けたあと、なんの攻撃も受けていないということだった。敵、2万の歩兵部隊の行動が不明だったのである。

黒馬を馳せるテオドロスはというと腹心の年老いた副官と共に丘に上った。霧が晴れれば、戦場がすべて見渡せる場所だ。

「とにかく、この霧が邪魔でなにもできないはず。親父め、無謀なことを…」

するとそのとき、丘の下から一匹の馬が駆け上がってきた。相当無理をさせたらしく、馬の目は血走っていた。

「何事だ!」老副官が叫んだ。

「サルマノフ城が陥落! 我々に退路はありません!」

使者は馬から下りることもなく叫びをあげた。

王子の顔が変わった。悪魔の顔はもうそこにはなかった。ただ恐怖にかられる、弱い人間の顔がそこにはあった。しばらく唖然としていた老副官が吐き捨てた。

「なんだと!…そうか、やつらの狙いは城だったのか…しかし、なんで位置がわかったのだ。やつらはまだこの土地には慣れているはずが…」

この報告を待ってのことか、急に霧が晴れだした。もう日は高くなり始めていたのだ。

「…おお!なんてことだ!」老副官は天を仰いだ。

初めて明らかになった戦況。テオドロスは圧倒的に自軍の不利であることを悟った。

ミーラン王国が誇る鋼鉄騎士団。彼らはパミール族の歩兵に丸め込まれ、完全に包囲されていた。後に突撃したはずのミーラン王国の歩兵は相手のサイに散り散りにされ、まとまって攻撃をすることなく、弓兵の餌食となっていった。

「…父は死んだ」

今まで黙っていたテオドロスが口を開いた。その顔は再び悪魔に犯されていた。

「両翼の軍に伝えろ。サルマノフ城は落ち、わが父、王も死んだ。我らが退路を開くからあとを続け、と」

劣勢は明らかだった。しかし、敵は少なく見ても1万、鋼鉄騎士団を囲んでいる歩兵たちも消して厚い壁とはなっていない。年老いた副官はこの状況をよくわかっていた。しかし、直接王子に報告する気はなかった。この悪魔になった王子に何を言っても聞かないことは自分が一番よく知っていることだったからだ。

「撤退だ。パカル、バートルへ帰るぞ」

王子は感情を込めず、そっけなくパカルと呼ばれた年老いた副官に言うのであった。

 

 

一方、鋼鉄騎士団を率いるブルガール1世は思い通りに動かない自軍に苛立ちはじめていた。

「くそっ!せっかく霧が晴れたのだ!突撃しろ!やつらの壁は4人しかおらぬのだぞ!」

次の瞬間、天は霧の変わりに矢の雨に覆われた。

「王!!お下がりください!」

…ッシュズ!!

「ロマノフ将軍!立て!まだ戦は終わっておらぬ…」

王の周りはひとり、また一人と馬上から姿を消していった。サマーノフ司教はというとすでにあの霧の中で行方不明となっていた。パミール族の輪はしだいに狭くなってゆく。それに伴って矢の数は減ったが、兵士の数は巣から飛び出す蟻のように増えていった。

「ぬおおおおおお!!」

ブルガールは独り、敵の歩兵の真っ只中に突っ込んでいった。手前にいた歩兵を一人、返す刀で一人殺った。そして、更に奥へ押し進もうとした時。王の愛馬は声にならない悲鳴を上げた。パミール族の兵士が斧のような刃を持つマチュテで馬の足を叩き斬ったのである。倒れこむ愛馬に乗ったまま、ミーラン国王ブルガール1世はパミール族の喧騒の中に姿を消した。

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2005年8月29日 (月)

イリ河畔の会戦 ~開戦~

イリ河の東側に布陣したミーラン王国軍からは未だ敵の姿を見ることができなかった。朝霧は晴れてきたものの、じれったいほどボンヤリと彼らの視界をさえぎっていた。太陽はまだ高くないのだ。しかし、ミーラン王国軍は焦っていた。というのも、先ほどから自軍でない太鼓の音があたりにこだましたいたからだ。

…ドンド ドンド ドントコトット ドンド ドンド ドントコトット……

この音ではもうさほど遠くない、市民兵の一人がそう感じた。隣に槍を構えているのは、近所の肉屋の主人だとわかっていた。だが、もうすでに歯がガタガタなっているのがわかった。太鼓の音と見事な不協和音を響かせているな、音楽学校に通う隣の学生がのんきに考えていた。その時、

「太鼓がやんだ…。そろそろですな。それにしても、あの斥候のお陰で早い段階で陣構えができましたな。」

ロマノス将軍は不敵な笑みを浮かべていた。

「確かに、これで手抜かりなく準備ができましたからな。」

サマーノフ司教は自慢のひげをなでながら自慢そうに言った。

…………ッタッタッタッタッタッタッタ

「王よ、和平交渉の使者が戻ってきたようでございます。」近衛兵が進言した。

「うむ……!!」

「こ、これは…」サマーノフ司教が黙祷を捧げながら十字を切った。

帰ってきた馬の上には使者の体はあったが、首だけがそこにはなかった。

「これがやつらの答えのようですな…」

驚く様子もなくロマノス将軍が言った。

「おのれ、余が慈悲をくれてやろうと思ったものを…」

ブルガール1世は苦虫を噛み締めたような顔をした。その横でサマーノフ司教が彼に耳打ちを入れ、

「馬が真っ直ぐ進んできたのならば、敵の本陣は真正面にあるかと存じます」

「余にどうしろと?」

「まだ霧は晴れていません。ここで奇襲をかければ、敵は散り散りになって退散するでしょう」

このとき、王の顔が普段の温厚な顔から、鬼のような夜叉へと変貌をとげた。その顔は血の気はなく、ただ怒りと憎しみに満ちているようであった。

「将軍、ここは余の武運の見せ所ではないか」

「王のお気の召すままに…」将軍には耳打ちが筒抜けだったようだ。

ブルガール1世は腰元から剣を抜いた。サーベルと呼ばれる騎兵用の真っ直ぐな剣だ。

「角笛を鳴らせ! 太鼓を響かせろ! 皆のもの、余に続け!」

全軍突撃の合図だ。市民兵も騎士団も、奴隷兵も皆、異常なまでの叫び声をあげて白い世界に身を投じた。しかしこの時、騎士の速さに歩兵がついていけていないことに誰も気がつかなかった。

一方その頃、ミーラン王国軍の左翼は完全な出遅れを食らっていた。常にかかる白い朝霧に視界をさえぎられ、突撃を悩んだ。ゲルの中では口論が始まっていた。

「アルプ殿!早く突撃命令をされよ!」中央軍の使者がさかんとせかしていた。

「ん~…相手の様子がまだわからない内に攻撃はできん。ただ兵力を浪費するだけじゃ」

アルプは目を閉じたまま、自分のひげを丸めるようにいじっていた。突然、表に立っていた兵士が血相を変えて飛び込んだ。

「右翼より早馬! 奇襲されています!」

「なに!?」 アルプは即座に立ち上がり、ゲルの外へ出た。使者はただ唖然としたまま、ゲルの中にいた。

すると、今度は前方にいた見張り兵が走ってきた。

「敵です! ものすごい地響きを立てて突っ込んできます!」

言い終わるが早いか、言うが早いか、白い朝霧の中に黒いシルエットが浮かび上がった。

「な、なんだあの獣は…」 アルプはもう頭が真っ白になった。

突然現れた、灰色の獣。鼻の上にそそり立つ角にはすでに血がべっとりとついていた。獣の上には敵兵を逃がしまいと構える弓兵の姿。

…ッシュン!!

アルプの耳飾を矢がかすめた。それで我に返ったアルプはすぐさま馬に乗り、叫ぶ。

「乱れるな!! 馬に乗れ! あの獣の正面には立つな!」

言い終わるとすぐさま馬を馳せ、今自分を狙った敵兵を追いかけた。さすがに族長の良馬だけあり、すぐに追いついた。「ッフン!」と気合を入れて鐙を踏みしめると、立ち上がり、弓を構えた。

ギリリリリリ……

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2005年8月26日 (金)

イリ河畔の会戦 ~サルマノフ城にて~

「では、これで各人よろしいかな?」

立派なヒゲと立派な太鼓腹を持つ中年男が言った。それに続いて、鋼鉄の甲冑に身を包まれた将軍うなずいた。ひょろひょろっと飛び出た蒙古ヒゲととんがり帽子が特徴的な男もうなずくと、

「さすが、サマーノフ司教殿、教養が違いますな。」と、少々皮肉を込めて言った。

その後ろでは立派な甲冑に身を包んだ年の若い男がつまらなそうにローマ風の柱に寄りかかっていた。時々、あくびをあげながら黙って目の前の大人たちが論じる「作戦」を聞いていた。

「それはどういうことかな?アルプ殿。」

将軍がとんがり帽子のアルプに言った。すると、今度は少々高揚した顔で彼は話だした。

「ロマヌス将軍、相手は我々の戦ったことのない未知の敵ですぞ?それなのにこれまでの山賊狩り作戦の踏襲といかがなものかと存ずる。」

司教はしばらく自慢のひげをなでたかと思うと、急に肩をクイっとあげて太鼓腹をぽんっと叩いた。

「彼らが山賊なのにかわりないでしょう?」

「あははははは」

後ろでつまらなそうにしていた若い男が急に笑い出した。

「ほら、王子もそんなのは論外だとお笑いになられたではないか。」

司教はその急な来客をうまく自分の味方にさせたが、実際、その王子が笑ったのは単にサマーノフ司教の腹が揺れる様が愉快だったからである。しばらくの沈黙のあと、ロマヌス将軍が話しを元に戻そうと話を切り出した。

「それにアルプ殿、今更作戦を練り直すとして、時間の無駄ではないでしょうか?」

「…。」

アルプが蒙古ヒゲをいじっていた手を離し、何かをしゃべろうとしたとき、

「王様のおなーりー。」

アルプはまたヒゲをいじりだし、横列の席に座った。

「サマーノフ司教、作戦はどうなった?」

王は大儀そうにいった。

「はい、満場一致にて決まりましてございます。」

アルプが大きく鼻から息を吐いたが、司教は気にしなかった。

「うむ、今回の戦いでは余は前線で戦いたいと思う。」

王は珍しくやる気のようだ。そう感じ取ったロマヌス将軍が王の前に躍り出た。

「では、わが鋼鉄騎士団を率いなさいませ、王の勇姿を見れば、皆の士気があがりましょう。」

王はゆっくり満足そうに頷いた。「では、」という感じに司教が立ち上がった。

「王が中央の騎士団を率いられるなら、テオドロス王子は後衛をお願いいたします。」

全員がテオドロスの方を見ると、王子はあくびで答えた。少し拍子抜けだったが、王は立ち上がり、

「皆のもの、戦の仕度じゃ!」といって、意気揚々と自分の部屋へ帰っていった。

 

 

「どんな作戦だったの?」

さらさらとした黒髪の女の子がたずねた。

「はっはっはっは、大した作戦ではないんじゃよ。戦いの作戦というより、むしろ戦いの『あと』の作戦だったんじゃ。どんなものは盗んでいいとか、盗む時間とかのぉ。肝心の戦いの作戦は立てなくても勝てると信じ込んでいたんじゃ。」

老人は馬頭琴の弦がまだ持つか確認しながら語った。

「じゃあ、負けちゃったの?」

今度はくりくりした瞳の男の子が心配そうに言った。

「結果はのぉ、確かにそうなってしまったんじゃ。まぁ、これからのお話をよく聞きなさい。そうすれば、なぜミーラン王国の騎士団が負けてしまったか、我らの祖先のアルプ様が、どのようになさったか、わかるじゃろう。」

老人はまた馬頭琴を響かせる。今度は激しく、荒々しい弾き方だった。

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2005年8月25日 (木)

イリ河畔の会戦 ~夜明け~

肌を刺す空気の中、朝霧は深く、静かに漂っていた。

ダドドドドドドド……

遠くで馬蹄のような音が響いている。馬蹄よりももっと深く、大地を揺るがす音。

この分ならまだ遠いはず…戻って本部に伝えるべきか、ひとりの斥候は思った。

視界の広がる限り、白と緑しか映らないのだ。自分の行くべき道も、実はすでに見失っていることに斥候は気づいた。草の大地をがむしゃらにひと叩きすると、斥候は大の字に寝そべった。鉄でできた鎧のガチャガチャが耳障りだった。ふぅ、とため息をついて、斥候は何気なく馬を見た。馬がうまそうに草をほお張っているのが見える。ん?

鞍にかかる一筋の光。妹が託した水晶のお守りだった。斥候は、「…よっと。」起き上がった。

妹に会いたい。斥候は力いっぱい、お守りを握り締めると、

「神様…。」と、斥候はつぶやいた。握り締める拳から草の匂いがした、その時だった。

キラッ

斥候はわずかに光る空を見つけた。その光はいよいよ輝きを増し、一直線に斥候へ注がれた。するとどうだろう、お守りが一直線に光を放っているではないか。斥候は急いで馬の背にまたがった。そして、彼はカケタ。

 

走り去る馬蹄が響いたあと、深い朝霧の合間からひとりの男が現れた。全身ねずみ色に覆われた強靭な肉体に朝の新鮮な光があたる。数歩ほど歩くと、彼は腰の後ろにぶら下げたマチュテと呼ばれる幅広な刀を抜いた。数回足下の土をいじると、男はマチュテを鼻に近づけた。

「…ンドグゥ(…新しい)。」

お世辞にも清潔とは呼べない顔は満足気だった。マチュテについた土を拭うと、元あった場所に戻した。そして、まだ濃い朝霧の中に走り出していった。

なんとも、神様は意地悪だ。

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2005年8月22日 (月)

魔鬼城――バートル

かつて、草原の南にあるマラガ盆地にはあらゆる知識と芸術が栄えた古代都市があった。しかし、すべてが炎に没し、今は赤い岩石が覆う不毛の地となった。この地を後の商人たちはこう読んだ。魔鬼城。悪魔たちが住まう城、と。

 

 おお 雁よ その美しい翼を魔鬼城へむけるな

 おお 雁よ その勇ましい姿をもう一度見せておくれ

 

ゲルの入口には村の大人たちも覗いている。普段、緑の大地と白い羊ばかりしかみない彼らにとって久々の娯楽なのだ。

「この歌はな、その昔、ジュンガルたちが魔鬼城へ行くのを嘆く歌なのじゃ。雁はジュンガルの守護動物じゃからな。みな不安じゃった。先が見えない闇の中、あのお方だけが光じゃったのだから…。」

 

話は少しさかのぼる。炎の7日間を終え、60年が過ぎようとしていたころ、人々は再びかの地へ舞い戻る機運が高まった。それは、望郷の念からなのか、耕地の不足だったのか、ミーラン王紀には書かれていない。だが、とにかく旧時代の人々が都市を作り出したのは事実であった。その都市が礎となり、ミーラン王国の首都、バートルとなった。

そして、更に40年の月日が経ち、ブルガール1世の治世。ミーラン王国は絶頂期を迎える。しかし、絶頂期という時代ほど、人々の不安が噴出す時代はないものだ。南の山岳民パミール族は背後のバスク山脈の氷河を恐れて、次々に下山していた。もともと耕地が少ないマラガ盆地ところに大勢の人間が押し寄せたのだ。当然、なにも起きないはずがなかった。パミール族は食べ物を得るためならなんでも行った。略奪、殺人、焼き討ち…。ミーランの民から見れば、ただの山賊にしか映らなかった。この事態に、ブルガール1世は強硬な手段にでる。力でパミール族をねじ伏せようとしたのである。だが、この行動は失敗に終わる。

冬の気配が近づく9月下旬、首都バートル南方60キロの地点で会戦が起こる。後にこの戦いはイリ河畔の会戦と呼ばれることとなる。ブルガール1世率いるミーラン王国が誇る鋼鉄騎士団を含め、総勢3万。対するパミール族は約2万、うち戦闘用のサイが500頭余。

この戦いは1日のうちに勝敗がはっきりした。勝ったのは――パミール族である。元々、山岳で育ったパミール族は肉体も強靭であり、硬いサイの皮で鎧(鉄のやじりをも跳ね返してしまう)を作っていた。だが、なにより戦闘用のサイが勝敗を決めた。サイの上に台を取り付け、ひとりは操縦、もうひとりが弓、または槍で戦うように仕組まれていた。サイの突撃力、機動力を生かしたこの戦法はブルガール1世率いる鋼鉄で固めた騎士団をも散々に蹴散らされた。この戦いで王国の軍隊の3分の1が戦死するという大敗北をきしてしまった。

無残な姿で首都に到着した王は傭兵を募集を始めた。その対象は主に北に住む騎馬民族、商人たちが山脈を越えて連れてくる種々の①半奴隷民だった。更に王は軍の早急に立て直すために後々にまで波紋を呼ぶ法令が発表された。

車輪法。

そう呼ばれたこの法令は少年兵、つまり馬車にしようする車輪よりも大きい人間に対して従軍の義務を負う、というものだった。

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①半奴隷民…戦争で捕虜にした民間人。3回の労役をすることで自由の身になれる。対して、奴隷民は戦争で捕虜にした兵士。ミーラン王国では鉱山など重労働を強いられ、一生自由にはなれない。

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2005年8月18日 (木)

馬頭琴

マラガ盆地から北へ行くと、そこは透き通る青と緑の空間。初夏を告げるさわやかな風がみずみずしい草原を駆けていった。その風はいくつもの丘を越え、湖のほとりにある谷にたどり着いた。空高くある真綿のような雲。それを鏡に照らしたように、草原には羊が群れていた。羊の群れの中に4つほど白いテントが張っある。

ゲルと呼ばれるこの建物のひとつには20人ほどの少年少女が集まっていた。皆、様々に色がつけられた羊毛のマントを羽織り、その顔はモンゴル系も白人系もいるかと思えば、そのどちらともつかないような全くの中間、長い年月をかけて混血したろう顔もしばしば見える。

そして、その黒山の中心には雪山がひとつ。真っ白なヒゲを蓄えた老人が見慣れない楽器を片手に語っていた。

 

それはそれは大きな砂嵐

大きく 高く舞い上がる

高く 高く舞い上がる

やがて 砂は天の火も覆いつくす

目も覆いつくす

仲間も覆い ラクダも覆い

音はなく忍び寄る その砂嵐は恐ろしい

音もなく仲間を連れ去る その砂嵐は恐ろしい

音もなく友を埋める その砂嵐は恐ろしい

 

朗々と歌い上げる雪山には一筋の河が流れていた。河は幾筋のしわの谷を乗り越え、世界の果てへ流れ出る前に蒸発してしまった。老人は歌が一通り終わると、この歌の説明を始めた。

「ジュンガルの子らよ。これは、南のマラガ盆地の古い歌じゃ。その地で栄えた古の王国、ミーランはそのまた南の山々に住むパミール族との戦に明け暮れていた。多くのものは戦場に散ったが、砂漠で姿を消すものも少なくなかったのじゃ。彼らは砂嵐がくるとラクダに必死につかまり、ただ通り過ぎるのを待った。砂嵐が過ぎ去ったあと、隣に居た友がいなくなっていることも少なくなかったということじゃ。」

老人は悲しげな瞳を当てもなく彷徨わせたが、咳払いをして話しを元に戻した。

「諸君はまだこの世界の半分も見えていない。この草原でさえ、果てはあり、全く違う世界がその先には広がっているんだよ。草原が終わると、その先には…ただ水だけがある。」

老人の話を聞いて、鼻水をたらしたひとりの男の子がしたったらずな声をあげた。

「嘘だ!」

老人はにっこりと笑ったが、それにともなって谷が一層深く刻まれた。

「ジュンガルの子らよ。これから話す話を真実の目で見、聞きなさい。そして、心の奥深くへしまいこめ。嘘、と思う気持ちはそこから生まれても遅くはないよ。」

老人は息を深く吐くと、その鷲鼻で一気に大気を吸い込んだ。

馬の尾でできた弦を強く響かせながら、弓を巧みに操り、強弱をつける。

その音は広々とした空を思い起こさせるが、深い哀愁を誘い、その先に広がる異世界への期待感をかもし出す。少し耳を傾けたつもりでも、いつの間にかその楽器の前に立ち尽くしている自分がいるのだ。

―馬頭琴。

今はもうこの老人のみが持つ、人類最後の木製楽器である。

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2005年8月16日 (火)

世界樹 ~ワカフ・チャン~

さて、物語は遠い遠い未来。

機械はもはや人力でしかなく、樹はすでに切りつくされた世界のお話。

人々は乾燥と寒冷化する気象と戦いながら、わずかに残されたオアシス、

マラガ盆地でほそぼそと農業を営んでいた。

だが、寒冷化はますます進み、南部高地に緑のブチのように点在する盆地帯が氷河に埋まろうとしていた。

パミール族と呼ばれる南部高地の人々は背後に迫る氷の悪魔に耐え切れず、耕地と食べ物を求めて北上。

マラガ盆地の王国、ミーラン国の国境―雪解け水を使った穀倉地帯―に迫っていた。

この情報をつかんだミーラン国王、ブルガール1世は辺境に軍を派遣。

後に「幸福の時間」と呼ばれた時代はこのときに破られたのである。

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しかし、諸君。なぜ今はこのように平和にいられるのであろうか?

「ねずみの寝床」と呼ばれた暗く、冷たい時代はどのようにして終わったのか?

あせることはない。ジュンガルの子らよ。我々はもうなにが本当であるか知っているのだから…

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